プロフィール

プロフィール

鹿児島県立松陽高等学校音楽科卒業。
大分県立芸術文化短期大学音楽科卒業、同認定専攻科修了。
在学中、成績優秀者コンサートや卒業演奏会および修了演奏会に選抜され出演。
ウィーン夏期国際音楽ゼミナールにてバーバラ・ギスラー=ハーゼのマスタークラスを受講。ディプロマ取得。セミナー内教授推薦のProf.Dichlerコンクールに出演、第3位。第61回南日本音楽コンクール入選。第24回日本クラシック音楽コンクール全国大会第5位。第52回北九州芸術祭クラシックコンサート出演、管楽器部門優秀賞。第31回鹿児島新人演奏会出演。卒業後、陸上自衛隊音楽隊で勤務し任期満了退職。現在では大分を拠点に演奏活動を行うとともに、後進の指導にあたる。
中学校教諭二種免許取得。リトミック研究センター指導者資格取得。島村楽器フルート講師。

ちょっと詳しいプロフィール

憧れのフルートを手にして140人にも及ぶ吹奏楽部へ

小学5年生のとき、地元の市民会館でひらかれた工藤重典さんの演奏会を聴きにいき、フルートに憧れを持ちました。しかし部活動ではフルートを希望するもかなわず、コントラバスを担当。体験入部でフルートを吹いたとき、実は音がならず、むしろ頭がくらくらしてしまって休憩しなくてはならない、ということがありました。もうひとりフルートを希望していた子が私は吹けた!ということを聞いたこともあり、自信をもってやりたい!と言い切ることができませんでした。でもやはりフルートを吹きたい気持ちはなくならず、親に頼み込んで中学2年生から個人でレッスンに通い始め、フルートをはじめました。

はじめは母の知り合いにフルートの吹き方の手ほどきを受け、習い事程度のレッスンをしていたものの、突然怖いもの知らずで音高に行きたい!と言い出しました。先生と母はあわてて、受験対策を本格的に教えてくださる先生にみていただいたほうが良いよ!となり、別の先生のレッスンへ通い始めました。受験目前だったものあわてて試験曲を必死に練習し、なんとか高校に合格し入学。高校に入ってからしっかりとエチュードやフルートのソロ曲を勉強することとなりました。

入学した高校は吹奏楽部がとても盛んで当時140名程の部員がいました。フルートパートでも多いときで20名程いましたが、座奏のコンクールメンバーに乗れるのはピッコロ含めてたったの5人。周りの同級生は吹奏楽部を中心にフルートをバリバリ吹いていたにも関わらず、私は吹奏楽でフルートを吹くことも初めて。そんな中のスタートでしたが、がむしゃらに練習しオーディションで何とかコンクールメンバーに選抜されることができ、少しずつ自信をつけていきました。学校の試験では上手く演奏できて評価が良いこともあったりしましたが、当時の私はなぜ上手くいったのか自身であまり分かっておらず、大学入試を目前とした時期になるとそんな自分の演奏に自信がなくなってしまうようになりました。

音の創造力とアンブッシュアで必要な筋肉の使い方

そんな中なんとか入学できた大学では、初めての試験で試験前の試奏会でも暗譜が上手くいかず止まってしまう、という問題にぶつかりました。曲の初めの音色にも先生に強く注意を受け、「音色を考えて吹き始めなさい」と指導されており、自信の無さを煽られるようで余計に落ち込んでいました。当時の私には音色を考えることとピアノとタイミングを合わせることの両方が同時にできていない状況でした。試験を受けたくないと思うまで追い詰められていましたが、試験を受けないという選択をする勇気もなく、何度も何度も音色について考え、本番を想定した練習を繰り返しました。結果、試験後成績優秀者に選ばれ演奏会へ出演できることになり、そのとき今までの自分の練習に足りないものに気が付きました。その後、自分の演奏に徐々に自信がつきはじめ、コンクールを受けたり講習会へ参加したりと、より音楽を学んでいきました。

そんな中大学の先輩の短期留学の話を聞き、私も留学したいと思うようになり、専攻科1年次にウィーン国立音楽大学へ短期留学をしました。2週間という短い時間ではあるものの、視覚、聴覚と刺激を受けるとともに、レッスンではアンブッシュアについて特に気づかされました。私の唇の形ではどのように息が出ているのか、楽器にとって理想の息の入れ方はどうであるか、そのために自分の唇ではどのようなアンブッシュアが必要であり、そのためにはどこの筋肉の力が必要であるのか、など多くを学びました。はじめは今まで自分が使っていなかった筋肉を使っているためレッスンを受けるだけでも口がへとへとになり、これで大丈夫なのかと不安に思ったこともありました。しかし練習していくことで慣れていきました。今までは緊張でアンブッシュアが定まらない(震えてしまう)こともありましたが、顔回りの筋肉の柔軟性をつけたことで、緊張の中でもアンブッシュアを維持することができ、より響きのある音につながっていることに気が付きました。

また現地で演奏者自身が音楽の魅力を身体全体で感じ演奏している姿を見て、自分自身が忘れていた部分を思い起させました。当時、コンクールや試験等に追われ、音楽の本質を自分が楽しめていなかったように思います。聴いていて集中力はあるので引込まれるものの、それがその音楽にとって心地よいかというとそうではなかった、音楽を表現することに注力はするも自信の苦しみが勝ってしまっている演奏、になっていたのではないかと思います。

その後は音楽を表現するにあたって、まず自分が感じるということ、そして表現するためにはどんな技術が必要であるかということを改めて考えるようになりました。

会社員・音楽隊での経験を通して気づいた、自分にとっての音楽の価値

短大卒業および専攻科修了後は、親の強い希望に対抗できず(父が厳しく、金銭的にもフリーランスで実家へ帰ることを許してもらえませんでした)一般会社に勤めました。休日に保育園や老人ホーム等での演奏に加え、一般団体での賛助演奏やチャペルでの挙式演奏等を行っていました。当時は仕事をしながら練習時間もかなり限られ自分の思うような音楽ができず苦しい思いをしました。しかし社会で働くということ、会社での自分の役割・立場・責任・どんなことを求められ仕事をするのか等多くのことを学ばせていただいたと思います。それなりに仕事も楽しいと思うこともありましたが、やはり音楽に関わる仕事がしたいと思い、きっかけがあり自衛隊音楽隊を受験し合格しました。自衛官としての勤務は体力的にも大変なこともありましたが、音楽隊ではフルートの演奏はもちろん、司会や他のパフォーマンス能力を求められることもあり活躍させていただきました。人前での演奏能力に加えパフォーマンス能力等多くことを学び経験させていただいたと思います。しかし職場環境が大きく変わったことなど様々なことが重なり体調を崩してしまいました。

体調はなかなか全回復しない中、自分自身を救ってくれたものはやはり音楽でした。音楽を聴くことで癒しや感動を得ることはもちろん、フルートを奏でることで自分が元気でいられることを実感しました。音楽隊勤務によって音楽の素晴らしさや自分の音楽・フルートが好きだという気持ちに改めて気づかされ、フルートは絶対あきらめず続けようと思いました。

また体調を崩したことで、音楽が・フルートの演奏が、人に与える影響とは何か、というものを改めて考えるようになりました。音楽は食べ物や飲み物のように生活の中で無いと生活ができない、というものではないかもしれません。しかし伝統音楽や宗教音楽、民謡等があるように昔からその場所ごとにそれぞれの必要とされる音楽が存在してきました。音楽の力によって、人々の感情を動かし生活を豊かにしてきたのだと思います。音楽がない世界というものは私はなかなか創造ができません。。。

また「音楽を聴く」という聴力は五感の中の一部です。音楽を聴いたり演奏したりすることで五感が刺激され、表現力が豊かになったり、健康を維持することにつながったりします。

そんな音楽の持つパワーを多くの方に味わっていただきたいと思っています。

父は昔から音楽なんて稼ぎにもならないし、必ず必要なものではないと言われ続けてきましたが、そんな父でも家ではクラシックを聴いて癒されていることもありました。(笑)

現在私には1歳になる娘がいますが、音楽によって感性や表現力を豊かにし生きる幅を広げてほしいと思い、育児に奮闘しています。

現在ではフルートを通して、音楽の素晴らしさや感動を伝えるため演奏活動、後進の指導を行っております。クラシック音楽だけではなく、ポップスや歌謡曲等も得意としています。

レッスンに来られる方はそれぞれ生活環境が異なります。
そして一人ひとり考え方も違えば、音楽の感じ方も変わってきます。

私はそんな違いを大切に、一人ひとり寄り添ったレッスンを行い、
フルートを通して、音楽の持つ魅力を体感していただきたいと思っています。

ご縁のある方はお待ちしております♪